平成28年度の岐阜県公立高校入試問題の並び替え問題はいかがでしたか?


 ボクが思うに、今回の問題は質としてもあまりよくなく、難しかったと思います。

倭(日本)における、小国の成立や大和政権の支配の広がりについて、次のア~ウのことがらを、年代の古い順に並べ、符号で書きなさい。

ア 倭王武は、南朝の宋の皇帝に使いを送り、朝鮮半島南部の軍事的指揮権を求めた
イ 倭には100余りの国があり、なかには楽浪郡を通じて漢に使いを送る国もあった
ウ 邪馬台国の卑弥呼は、魏の皇帝から「新魏倭王」の称号と金印を授けられた

 それでは1つずつ解説をやっていきましょう。


<解説>
 この問題は、大陸で書かれた書物の中で当時の日本についてどのように書かれていたのかの史料を読んでいた人には楽勝の問題だったと思いますが、そうではない人には難しい内容だったと思います。

 ここで、大陸が日本のことについてどのような記述をしているのかをまとめてみましょう。

【図表① 漢・魏の歴史書に書かれている日本の様子】

時期 内容
「漢書」地理志
(紀元前後)
倭は100余国に分立
「後漢書」東夷伝
(1世紀中頃)
倭の国の奴国の王が漢に使いを送り、皇帝が金印を授けた。
魏志倭人伝
(3世紀)
  1. 倭の国に邪馬台国があり、30ほど小国を従えて、女王の卑弥呼がおさめていた。 
  2. 卑弥呼が魏の都に使いを送り、魏の皇帝から「新魏倭王」の金印と銅鏡100枚などを送った。"

【図表② 5世紀中頃の日中関係】

内容
大陸の状況 漢民族の宋(南朝)と遊牧民族の北魏(北朝)が争う時代(南北朝時代)
日本と中国の 付き合い 日本は宋に対して朝貢を行っていた。

<理由>
朝鮮半島の高句麗が北魏と同盟関係を結んでいて、これに対抗するため。朝鮮南部にあった日本の軍事的影響力を保持するため

 上の2つの図表はボクが中学生に教えるときに使っているまとめプリントからの抜粋です。図表①は日本で言うと弥生時代の様子です。紀元前には日本は100余国に分かれていた(イ 倭には100余りの国があり、なかには楽浪郡を通じて漢に使いを送る国もあったのハナシ)けれども、卑弥呼が登場する3世紀には30国ほどになっていて、小国がまとまりつつありました(ウ 邪馬台国の卑弥呼は、魏の皇帝から「新魏倭王」の称号と金印を授けられたのハナシ)。それが、イ→ウです。


 その後大和朝廷によって日本がまとまっていった一方で、大陸には北魏と宋という2つの大きな国があって、その影響を受けた朝鮮半島も大混乱の時代でした。当時の日本は朝鮮半島の南部に拠点を置いていました。一方朝鮮半島の北にあった高句麗という国は北魏と手を結び、日本にとって大きな脅威になっていました。そこで、日本は大陸のもう1つの大きな国であった宋に朝貢(貢物を持参して臣下としてあいさつに行く)して同盟を結ぼうと考えました。その話が、ア 倭王武は、南朝の宋の皇帝に使いを送り、朝鮮半島南部の軍事的指揮権を求めたハナシです。


 この時代の状況を正確に押さえている受験生はおそらく少ないと思いますので、今回は失点してもある程度やむを得ないだろうと思います。ですから、これを機に、1世紀から5世紀の日中及び朝鮮半島との関係を理解してもらえればよいかなと思います。


<解答>
イ→ウ→ア