今日は奈良時代の全体構造です。

 でもその前にやっぱり大きな視点からもう一度奈良時代の位置を確認しますよ。

era
 
 歴史を見る視点についてももう一度復習します。

eyes
 
 このブログもこの視点で書いています。ざっくりとやって少しずつしっかりとやるという感じで勉強を進めるとよいでしょう。

 
 では今日の問題です。

 
<問題> 次の歴史的なできごとを古い→新しいの順に並び替えなさい。

ア 墾田永年私財法 イ 班田収授法 ウ 三世一身の法 


今日の問題は少し難しかもしれませんが、やってみましょう。

 
 奈良時代は、朝廷による統治の時代の3番目の時代です。710年(和銅3年)に、文武天皇が現在の奈良県奈良市に都を移します。これが平城京(へいじょうきょう)です。ここから奈良時代という時代区分になったと解釈されます。 


 さて、奈良時代なのですが、実は奈良時代の政治の歴史というのは残念ながらどこの教科書を読んでもその記述がありません。よって試験にも出ません。奈良時代の中でよく出題されるのは、朝廷が土地と民(たみ)をどのように治めようとしていたのかという点です。具体的な政策については全体構造の中では書きませんが、次の図にあるような視点を持ってください。

 nara_chart

 天皇を中心とした国家を作ろうと、「公地公民」制度を整備しようと朝廷も頑張っていました。でも、せっかく庶民が頑張って耕した土地を死んだら国に返すということになったら、庶民としてはやる気がいまいち起きません。また、税金が高いために逃げ出す人たちも多くいて、「公地公民」制度がなかなか定着しません。さらに、人口が増えてしまって、国が庶民に対して提供する田(口分田という)が不足してしまうという事態が生じます。

 そこで、「孫の世代までなら自分で土地を持っていてもよいよ!」という「三世一身の法」が723年(養老7年)に作られますが、その後「墾田永年私財法」という法律が743年(天平14年)にできます。「自分で耕した田は自分で持っていてもいいから税金納めてくださいね」という内容です。これによって、ようやく自分から積極的に土地を耕していくようになります。ところが、この法律が効果をもたらすことである一つの重大なことが根底からひっくり返ることになります。そうです、公地公民制が崩壊してしまいます。自分で耕した田を自分のものにしてもよいということになると、それだけ私有地が増えるということですから、「土地と民(たみ)は公(おおやけ)のもの」という理念は大きく崩れることになりますね。

 奈良時代はこういう時代です。全体構造でやる知識としては少し細かいですが、一言で言えば、「公地公民で国を治めようとしたが挫折した時代」と覚えておけば中学生はOKです。 

 なお、奈良時代の政治は、高校の日本史の授業でたっぷりやりますから、高校で日本史の勉強をしたいという人は楽しみにしておいてください。




 
 最後に、今日の解答です。

 イ→ウ→ア