今日は室町時代の全体構造です。

 でもその前にやっぱり大きな視点からもう一度室町時代の位置を確認しますよ。

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 鎌倉時代から江戸時代までは武士の時代ですが、今回は室町時代。

 武士の時代は、まずは順番に征夷大将軍の名前を押さえていって、その後に具体的な政策などを押さえていくとよいです。そうは言っても、室町時代の征夷大将軍は15人もいますが、高校入試レベルでは15人も覚える必要はありません。これから、このブログの名物の並び替え問題を検討してもらいますが、ここにあげられている将軍名を順番に押さえてもらえれば合格です。


 それでは問題を解いてみましょう。

<問題> 次にかかげる人物について、「古い→新しい」の順に並び替えなさい。

ア 足利義昭 イ 足利義満 ウ 足利尊氏 エ 足利義政 





 歴史の勉強は、あくまで大まかなところから理解することを心がけましょう。

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 今日は室町時代ですが、大まかな流れを年表にまとめてみました。
室町時代の大まかな流れ
 ここから順番に将軍の名前を抜き出していきます。

 まずは初代将軍は足利尊氏(あしかがたかうじ)です。鎌倉幕府を倒すのに中心的な役割を果たしたのが後醍醐天皇(ごだいごてんのう)でした。後醍醐天皇は幕府から政治の実権を取り戻し、建武(けんむ)の新政(しんせい)を行います。ところが、建武の新政は「貴族びいき」で、鎌倉幕府を倒すのに現場で活躍した武士にとっては不満の残る政策を展開していきました。後醍醐天皇の政策に不満を持っていた武士たちは、有力武士の1人であった足利尊氏をリーダーにして、「打倒!建武の新政」を掲げました。結果としてどうなったかと言うと、後醍醐天皇は敗れて、奈良県の吉野というところに落ち延びた一方、足利尊氏は新たな天皇を即位させて朝廷を作ります。後醍醐天皇側の朝廷のことを南朝(なんちょう)、足利尊氏が中心となって作られた朝廷を北朝(ほくちょう)と言い、ここに南北朝時代と呼ばれる時代が始まりました。そして、1338年に北朝の天皇であった光明天皇(こうみょうてんのう)から征夷大将軍に任ぜられます。これが室町幕府の誕生です。

 この対立は60年あまり続きますが、これを終わらせたのは3代将軍の足利義満(あしかがよしみつ)です。南北朝時代においては、北朝と南朝が交互に天皇の位に就くことになっていたのですが、足利義満が将軍になった後、北朝側で後小松天皇が天皇になった後に、南朝に天皇の位を譲りませんでした。当然南朝側は怒るのですが、足利義満は強引に南北朝を統一してしまいました。足利義満の時代には、支那(シナ)地域を支配していた明(みん)という国と貿易を始めました。これを勘合貿易といったり日明貿易と言ったりしますが、これを行うことで、大きな利益を受けました。

 室町幕府は、有力の武士たち(守護大名)の力が強く、将軍の力はそんなに強くありませんでした。足利義満がお亡くなりになった後、室町幕府の勢いは弱まります。

 8代将軍の足利義政(あしかがよしまさ)の時代、足利義政には当初世継ぎとなる子どもが生まれずに、義政の弟を次の9台の征夷大将軍に就かせようと義政は考えていたところ、めでたく子どもが誕生しました。しかし、次の将軍の候補には義政の弟か息子かでの争いが起こりますが足利義政は決めることができません。これに有力の守護大名たちの勢力争いなどが複雑に絡み合って、京都を10年以上にわたって戦乱に陥(おとしい)れた応仁の乱(おうにんのらん)がおこりました。

 結局、義政の息子が9代将軍になったのですが、守護大名同士の対立は続き、京都で争いをやっているうちに、守護大名の自分の領土では有力の家来たちが守護大名の勢力を倒し、下の立場の者が上の立場の者を打ち破る下克上(げこくじょう)と呼ばれる状態が日本各地に起こり、戦国大名が誕生します。そのうちの1人であったのが尾張(現在の愛知県西部)で勢いを増していた織田信長(おだのぶなが)で、やがて彼は15代将軍の足利義昭(あしかがよしあき)を京都から追い出して、1573年に室町幕府が滅びました。 


 ちょっとつらいなぁという人は赤字の人物名と主だった事件名を頭に残すようにしてください。そして、さらに細かい部分を1つずつていねいに追っていくようにしましょう。
 

<解答>
ウ→イ→エ→ア