今日は元寇について解説します。

Q1 元寇はどの国が日本に攻めてきたのかを答えなさい。
Q2 元寇は2度起こったが、それは何年のことか?また戦いの名前をそれぞれ答えなさい。
Q3 この時の鎌倉幕府の執権の名前を答えなさい。
Q4 この時の元の皇帝の名前を答えなさい。
Q5 元・高麗連合軍はどのような戦い方を特徴としていたのか。また日本はどのような戦い方を特徴としていたのかを答えなさい。
Q6 日本と元・高麗連合軍との戦いはどちらが勝利したか。
Q7 元寇の後、日本ではどのような影響があったか?


 上記の問いに答えながら、元寇で押さえておくべき知識をまとめてみましょう。





 
それでは、解説をしていきましょう。

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Q1 元寇はどの国が日本に攻めてきたのかを答えなさい。

東アジアの支配を拡大していた元(げん)のフビライ・ハンが、日本の征服を計画し、何度も国書を送り、服従を求めてきた。
  ↓ 
8代執権であった北条時宗はこれを断ったため、元と高麗(こうらい)が日本に攻めてきた。


Q2 元寇は2度起こったが、それは何年のことか?また戦いの名前をそれぞれ答えなさい。 


1回目:1274年(文永11年) 文永の役
2回目:1281年(弘安  4年) 弘安の役


Q3 この時の鎌倉幕府の執権の名前を答えなさい。 

北条時宗


Q4 この時の元の皇帝の名前を答えなさい。 

フビライ・ハン


Q5 元・高麗連合軍はどのような戦い方を特徴としていたのか。また日本はどのような戦い方を特徴としていたのかを答えなさい。

元軍は火薬と集団戦法を用いたのに対し、日本軍は一騎打ちの騎馬戦法であった。


Q6 日本と元・高麗連合軍との戦いはどちらが勝利したか。 

日本が勝利した。

一般的には、「神風」が吹いたために元・高麗連合軍は荒波にのみこまれて日本が勝利したと言われることがあるが、それは説明として不正確かつ不十分である。


ここは、応用解説として、文永の役及び弘安の役がどのように推移したのかを解説してみたい。

<文永の役>
元・高麗連合軍が日本に攻めてくる。この際、略奪(りゃくだつ)と残虐(ざんぎゃく)な行為を日本は受ける。
  ↓
日本の武士たちは祖国を守るために勇敢に戦う。
  ↓
日本軍は元軍を撃退し、元軍は沖に逃げる
  ↓
そのまま退却する
<弘安の役>
元軍は、文永の役以上の14万人の軍勢を率い、日本にやってくる。元軍は九州の一部を占領し、そこに住もうと考え、農具などの生活用品を積み込んでいた。
  ↓
日本はこれらの軍勢を迎え撃ち、撃退する。
  ↓
沖の方へ逃げていた元軍だったが、台風が元軍を襲い、荒波に巻き込まれ、元軍は敗れる。
教科書はなぜか日本軍が頑張って元軍を撃退したという部分があまりきちんと書かれていないものが多いが、上に掲げた経緯が真相であると最近の研究では分かっている。


Q7 元寇の後、日本ではどのような影響があったか?
  1. 元寇は執権を中心として元を撃退することに成功したため、幕府内において北条氏の影響力がますます強まった。
  2. 御家人の大きな犠牲があったのにも関わらず、御家人は元寇によって新しい土地を手に入れることができなかったため、御家人の生活が苦しくなった。